美容整形、美容外科は名古屋市中区栄のAMORE CLINIC(アモーレクリニック)へ。

Interview

若林佑真様

若林佑真

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僕は、女性として生まれて、現在は男性として生活しているトランスジェンダー男性(以下、トランス男性)です。
今は東京で、俳優・タレント活動の他、舞台のプロデュースや講演活動を行なっています。

ジェンダーを自認した時期、きっかけ

よく、トランスジェンダーを自認した時期を聞かれることがあるのですが、僕の場合は、段階を経て徐々に自覚していったという感じでした。というのも、同じトランス男性の方の話を聞いていると、「幼少期から、なぜ自分は男の子じゃないんだろう?と違和感を覚えていた」「小さい頃からスカートを履くのが嫌だった」「いつかちんちんが生えてくると思っていた」という話をよく耳にするのですが、正直僕は、全くこのような感じではありませんでした。

確かに、小さい頃からお父さんが大好きで”パパっ子”だった僕は、何かにつけて「お父さんと同じものが欲しい」と言い張り、自然と男の子っぽいものを身につけていたこともありました。
ですがその時は、“自分の性自認に違和感を覚えていたから”というよりは、“大好きな父と同じものが欲しかった”という感覚の方が大きかったのです。じゃあ、いつから違和感を感じ始めたかというと、小学校5年生の時、初めて“女の子を好きになった時”でした。

小学校高学年になると、友達間で「誰が好きなのか?」という話がよく行われていました。女友達が「ウチは、〇〇くんが好き」と、男の子の名前を上げていく中、僕の頭の中に浮かんだのは、女の子の名前。でも、幼いながらにここで女の子の名前を出すとおかしな空気になると考えた僕は、必死に男の子の名前を絞り出しました。

それからも、好きになる子は、いつも女の子でした。ですが、僕が学生の頃は、“LGBTQ+”なんていう言葉は聞いたこともなくて、もちろん知識もなかったので、「自分は、レズビアンなのか。それともバイセクシュアルなのか。」と、自分は一体何者なのか、性のあり方に悩む学生時代でした。

しかし、高校3年生の時、当時には珍しく、学校でセクシュアリティの授業が行われたのです。その時、”人には、「身体の性別」「性自認」「性的指向」の3つの性別がある”ということを教えてもらいました。※現在は、「表現する性別」も加えた4つの性別があると説明されています。
その授業の中で、僕はトランスジェンダーの存在を知り、「自分は、間違いなくこれだ…!」と確信しました。これが、僕が自分の性を自認したきっかけでした。

治療を始める前の不安

大学1年生の時、大学病院の精神神経科に通い、「性同一性障害」の診断書をもらいました。ですが、診断書が出ても、すぐに「ホルモン注射を始めよう!」とは、思いませんでした。…というか、思えなかったのです。なぜならその当時、今のように検索一つで沢山の情報が出てくるわけではなかったので、良し悪しを判断するための情報が十分になかったのです。反対に今では、情報がありすぎてどの情報が正しいのかわからないということもあると思います。

当時、僕の手元にあるのは、トランス男性の友人から教えてもらったわずかな情報のみ…。本当に大丈夫なのか、寿命が縮まるのではないか、健康が失われていくのではないか、一度打ったらもう後戻りはできないのではないか、という不安が一気に押し寄せ、その結果僕は、診断書が出てからホルモン注射を打つまで約半年程、”悩む期間”を設けました。
そして、心から「ホルモン注射を打ちたい!」と思ったタイミングで病院へ行き、しっかりと先生からメリット・デメリットを聞いた上で、打ち始めました。

僕はその日から今日に至るまで、ホルモン注射を打つ選択をしたことを後悔したことは一度もありません。でもそれはきっと、あの“悩む期間”があったからだと思います。内心では「早く見た目を男性化したい!」と焦っていたにも関わらず、半信半疑のまま始めず、勇気を持って決心がつくまで待てたことは、後悔のない人生を送るためにもよかったなと思っています。

治療を始めて心境や環境の変化

現在僕は、
・ホルモン注射(歴11年)
・乳腺摘出手術
・乳頭縮小手術
の治療を行いました。

変わったことは、沢山あります。見た目が男性化することで周りから男性として認識され、自信が持てるようになりましたし、毎月絶望的だった生理も止まったし、人前で上半身裸にもなれるし、ずっと行けなかった銭湯にだって行けるようになりました。好きな人と裸で抱き合えるようにもなりました。治療する前よりも確実に理想の自分に近づいているし、何より、人生が楽しくなりました。

ですが、もちろんいいことばかりではありません。副作用により、顔や身体がニキビだらけになったり、思った以上に毛むくじゃらになったり、髭なんて生えすぎて青髭になってしまい、「ここまでは欲しくなかった」と脱毛を始めたぐらいです…。笑
何より、一番しんどかったのはホルモンバランスの乱れによる、”肩こり”と”物忘れ”です。ホルモン注射打ち始めてすぐの頃は、肩こりが酷すぎて毎日のように整骨院に通っていました。「20歳でこの肩こりは異常だよ…。」と、よく先生に言われていました。整骨院に通うだけでは事足りず、ずっとサロンパスを貼っていたので、肩から背中にかけては常にかぶれていました。

そして、打ち始めて数年が経った頃、急に言いたい言葉が出にくくなり(言葉を思い出せず)、つっかえるようになりました。「なんでだろう?」と思っていたのですが、ホルモン注射の影響で物忘れがひどくなる人もいるということを知りました。言葉を生業に仕事をしたいと思っていた僕だったので、それが何よりもショックでした。

このように、いいことばかりではありませんでした。でも、ホルモン注射は人によって個人差があります。なので、僕が起こったこと全てが全員に起こるわけではありません。それに、ホルモン注射を打つ・打たないに関わらず、年を重ねるにつれて、人は衰え、変わっていくものです。

だったらと、僕は自分の身体に起こる変化にその都度対応していくようにしました。例えば、肩こりがしんどかった時、毎日お風呂上がりにストレッチをするようにしたら、驚くほど楽になりました。物忘れも相変わらずですが、その分重要なことはメモをとるようにしたり、言葉が出なくなった時、瞬時に他の言葉に言い換えて代用できるようにもなりました。
そうやって、何か問題が出てきたら対応していく、そうやって自分の身体と付き合っていこう、と思えるようになりました。

自身のジェンダーや治療について
悩んでいる方にメッセージ

今、自分の性のあり方やこれからの生き方に悩んでいる方もおられると思います。僕も今日に至るまで、沢山悩み、苦しみました。ホルモン注射や手術することに対し、怖さや不安がある方もいると思います。でも、大丈夫です。僕も、初め不安で不安で仕方なかったですが、自分に起こる変化にも対応しながら、楽しい毎日を送ることができています。

ただ、一つ言えるのは、同じトランス男性でも様々な生き方があるのです。どれが正解とかありません。それに、ホルモン注射や手術することだけが全てとは、僕は思いません。たった一回の人生なので、沢山迷って考えるのも良いのではないでしょうか。

そして、どうしても答えが出ない時、「どっちか正しいか」ではなく「どっちが楽しいか」、どっちがHAPPYでいられるか、を一度考えてみて欲しいなと思います。僕は悩んでいた時、トランス男性の先輩が、「自分を偽って生きる100年か、ありのままで生きられる50年だったら、ありのままで生きられる50年を明いっぱい生きたい!」と言っていたのを聞いて、僕もそうしたい!と思いました。
そうは言っても、そんな簡単なことではないと思います。周りが受け入れてくれない、親が許してくれない、周りから変な目で見られる。きっと、そういう方もいらっしゃると思います。

でも、本来他人は、”あなたの容姿や性自認、好きな人や物、着たい服、やりたいこと”を否定できないんです。そのことを頭の片隅に置いた上で、”今の自分”が思う「これをしたら、自分はもっと幸せになれると思う!」という日々の選択が、自分をより幸せにしてくれるのだと、僕は信じています。お互いに、オリジナリティ溢れる人生を送れますように!!

⽣年⽉⽇ 1991年11⽉5⽇
出⾝地 兵庫生まれ/大阪育ち
趣味 映画・舞台鑑賞、筋トレ、スノボ
出演情報 ・TBSラジオ「アシタノカレッジ」隔週木曜アシスタント ・Podcast番組「元女子兄弟のオールナイト0(ZERO)ホン」 ・フォトエッセイ「Complex」(制作:ナンバーフォー/販売元:よはく舎)

女性として生まれ、現在は男性として生活するトランスジェンダー男性の俳優 /舞台プロデューサー。
1991年、兵庫県生まれ。同志社大学神学部在籍中から演技などのレッスンを受け、卒業を期に上京。
俳優やラジオパーソナリティーの他、東京レインボープライド2016、
2017ではステージパフォーマーとして出演し、脚本・プロデュースも担当。20歳からホルモン治療を開始。

国内の病院にて、24歳で乳房切除・乳線摘出手術を受ける。
2022年9月〜放送のテレビ東京 木ドラ「チェイサーゲーム」では、
トランスジェンダーのインターン生 渡邊凛役を演じ話題に。

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