美容整形、美容外科は名古屋市中区栄のAMORE CLINIC(アモーレクリニック)へ。

Interview

成宮涼様

成宮涼

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あなたは自分の性別について悩んだことはありますか?こう聞かれた時、
大多数の人は間髪入れずに「ない」と答えるでしょう。それはとても幸せなことだと思います。

何故ならば私は生まれてから20年以上もの間、自分の性別に疑問を持ち、悩み苦しんでいたからです。
この記事では、性同一性障害である私の経験についてお伝えします。
今現在悩んでいる当事者の力になれたら、またそうではない人の理解が深まるといいなと思います。
ぜひ最後までお付き合いください。

ジェンダーを自認した時期、きっかけ

私の場合、最初に自分の性別に違和感を覚えたのは3.4才の幼稚園の時でした。自分が女であることは外部からの情報(男女別に整列させられたり、「〇〇ちゃん」と呼ばれたりすること等)で知っている状態でした。ここがミソで、あくまで「知っている」状態だったので「自分は女の子なんだ!」と思ったことはありません。

女の子として生活をする中で周りの女の子は好きな男の子の話をしていたり、可愛いものが好きだったりすることに全く共感できませんでした。これっぽっちも、です。逆に私は好きな女の先生がいたり、男の子が好むようなかっこいいものが好きだったのです。そのような違和感は小学生、中学生と成長するにつれ男女差も激しくなっていきどんどん強くなっていきます。

大きなきっかけは高校生になり、初めて彼女ができた時でした。出会いは前略プロフィールという自分のホームページを簡単に作れるサイトでした。(年齢がバレてしまいますね。)そこで同い年の女の子と仲良くなりメール交換をし、会う約束をして会ったその日に付き合うことになりました。そして、自分の中で「自分は男として女の子が好きだ。支えたい。守ってあげたい。」というはっきりとした感情が芽生えました。

治療について

23歳から半年かけての心療内科でのカウンセリング、25歳から男性ホルモン注射開始、26歳で3回に渡る乳房切除術、乳輪・乳頭縮小術、27歳で子宮・卵巣摘出手術を経て家庭裁判所に戸籍・名前変更の申し出も完了し、現在は正式に男性として生活をしています。

男性ホルモン注射は月に1回エナルモンデポーという成分の注射を125mlで打っています。ホルモンは生きている間は打ち続けないといけないので毎月痛い思いをしなければならないし、通院するのがとてもめんどくさいですね。

戸籍変更前は診察料も入り1回4000円ほど、変更後は1000円ほどです。これは余談ですが、ホルモン注射を男性の平均寿命である81歳まで打つ計算してみたところ私の場合、約140万円にもなります。この金額を見ると純男性と比べてハンデと言わざるを得ないですね。

治療を始める前の不安

不安は全くありませんでした。私にとって治療をせず、今後も女の子として生きていくことは死んでいるのとなんら変わらないものだったからです。むしろワクワクしていました。
男性ホルモンを打つと性格が変わる人もいるという情報も聞いていたので果たして自分も変わるのか、変わるならどのように変わるのか、体毛はどのくらい増えるのか、髭は生えるのか、声はどんな声になるのか、喉仏は出るのか、顔つきは、体型は、筋肉は、食欲は、性欲は、と好奇心しかなかったです。

後の全ての手術においても同じです。早く胸を取りたい、Tシャツ1枚で過ごせるようになりたい、ナベシャツを着たくない、生理が来るかもしれない不安や生理痛から解放されたい、堂々と男子トイレに行きたい、保険証の性別欄を変えて堂々と「俺は男です」と言いたい、名前を変えたい、女の子と思われたくない、男として接して欲しい、男として女の子に意識されたい、その気持ちだけで治療時代を駆け抜けていきました。

不安を一つだけあげるとしたら「将来禿げたくないな」くらいです。それも女の子として生きるよりかは遥かにマシだと思える可愛い不安です。

治療を始めてからの心境や環境の変化

これは歳のせいかもしれませんが性格がかなり前向きに、なんなら楽観的になったように思います。ホルモン注射を始める前は月に1回ほど何故か涙が止まらなくなる日や泣きたくなる日がありましたが、今では1年に1回泣くかどうかになり、喜怒哀楽の起伏が平坦になりました。

環境はかなり変わり、生きやすくなりました。治療前は家族や友達も含め周りの人に変だとかおかしい人だと思われないように一生懸命女の子のフリをして、時にはカモフラージュとして特定の男の子を好きなフリして、周りや自分に嘘をついて生活するのが日常だったので、治療をしながら少しずつカミングアウトをしていき、戸籍や名前の変更をしてからSNSなどで性同一性障害であることを大々的に公表し、周りに理解者が増えていきました。

治療を進めるにつれ周りの人にどう思われようが自分は自分だとも思えるようになりました。そこから誰にも嘘をつかず好きなものを好きと言える事、自分のありのままでいれる事に幸せを感じています。今では家族も私のことを変更後の名前で呼ぶことにも慣れてくれていて、好きな女の子の話もできるようになりました。治療前には想像もつかなかった平穏な日々を過ごしています。

ジェンダーや治療について悩んでいる方にメッセージ

並みですが「あなたは1人ぼっちじゃない。どこかに味方は必ずいる。」これを強く伝えたいです。
今は確かに近くに自分と同じような悩みを持っている人はいないかもしれない、でも実は近くにいるけどその人も言えずにいるだけかもしれない、分かってくれない人もいるけどそんなのは相手にしなくていい、分かってくれる人だけを大切にして生きてほしい、分かってくれる人がいる場所に行ってほしい、
それは逃げでもなんでもなくあなたが生きるために必要なことだから大丈夫、自分だけだなんて思わないで、同じ悩みを持った人は必ずどこかにいる、どうか私を信じてほしい。

今は自分らしく生きられている私も中学・高校とセクシャリティを理由に集団でいじめを受けたことがあります。そのいじめが辛すぎて精神疾患の一つである適応障害になったこともあります。クラスメイトのことを怖く感じ、耳に入ってくる笑い声が全部自分のことを笑っているように聞こえ、教室に入れなくなり授業を受けられず、部活だけ参加する期間を過ごしたこともあります。

誰も信じられない、誰にも、家族にですらも本音を言えないと1人で枕を涙で濡らしたこともあります。
自分の身体が嫌すぎてお風呂に入るたび鏡を見ないようにしたり、自分の身体を傷つけたこともあります。

毎日毎日、なんでこんな風に生まれたんだろう、なんで自分なんだろう、何も悪いことしてないのに、男として生まれたかった、それが叶わないなら体と心が一致した状態で生まれたかった、誰がこんな自分を愛してくれるんだろう、将来どうなるんだろう、気持ち悪いってどうせ思われる、怖い、こんな思いするなら生まれたくなかった、こんな思いするならいっそのこと消えたい、もう傷つきたくない、普通に生まれた人達が羨ましい、憎い、の繰り返しでした。

私は理解してくれる人を家族や学校以外に求め、SNSで毎日のように朝になるまで検索をし、自分と同じような人に出会うことが出来ました。あなたとこの記事が出会えたのもおそらく私のように検索を繰り返してくれたからで、これも何かのご縁だと思います。見つけてくれてありがとうございます。

長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。この記事が少しでもあなたの心に残りますように。そして少しでも勇気を与えられますように。一緒に生きていきましょうね。

生年月日 1992/9/17生まれ 乙女座 申年
血液 AB Rh-型
出身 神奈川県出身
身長 170cm
経歴 元女子水球日本代表
(アジア大会銀メダリスト)
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